その8
           「浦河通」の巻(1979. 8.bQ)

 小学校の5年生頃、と言えば昭和10年前後の頃だが、同級生で剣道に凝ったのがい
て、早朝、北8条東1丁目で石狩街道に面した彼の家から、北1条の東なん丁目かにあっ
た、市立の体育館(木造のかなり大きな建物で、大正14年に竣工したものだったようだ
が今は無い)にかよっていた。そのかよう道筋は、「うらかわ通りを南に行って・・・」とのこ
とで、「うらかわ通り」ってどこの事だと聞いたら「東2丁目通り」だと言う。そこで私は成程
「東1丁目」は石狩街道で「表通り」だが、その1本東側の「東2丁目通り」は「表」に対する
「裏側通り」と称するものと理解していた。
 ところが、「東2丁目通り」は「雨竜通り」というのだ、俺の祖父さんがそう言っていた。と、
頑張るのが出て来たので、夏休みの自由研究には、これをテーマにしたのだから、「古地
名調べ」に興味を持つキザシは既にこの頃から芽生えていたものらしい。
                     ※
さて、掲載の「古地図」は明治6年頃の札幌の街並みだが、本庁とは開拓使の本庁があっ
た場所で、その後「道庁」となって、今の場所へ移ったものだし、工業局とあるあたりは現
在「北電本社」付近で、市役所の真正面には「牢屋」があった次第。そうして、メインストリ
ートにはそれぞれ北海道の地名が冠されていたことがわかり、前述の「東2丁目」も北では
「雨竜通り」であり、南では「浦河通り」と称されていたことも判明した。
 なにぶんにも古い上に見にくいので、これを以下の事項を読みながら虫メガネででも見
て頂きたい。
     ※
(創成川より東の方面では)
南1条・・・日高通
南2条・・・沙流通
南3条・・・新冠通
南4条・・・静内通(以下略)
(創成川より西の方面では)
南1条・・・渡島通
南2条・・・爾志(しりべし)通
南3条・・・檜山通
南4条・・・津軽通(以下略)
    ・
北1条・・・浜益通
北2条・・・厚田通
北3条・・・札幌通
北4条・・・石狩通(以下略)
    ・
東2丁目・・・浦河通・雨竜通
東3丁目・・・様似通(以下略)
    ・
(大通より南の方面では)
西2丁目・・・胆振通
西3丁目・・・山越通
西4丁目・・・虻田通(以下略)
(大通より北の方面では)
西2丁目・・・夕張通
西3丁目・・・上川通
西4丁目・・・小樽通(以下略)

「うらかわ通り」と言っても、一般には
さっぱり通じなくなったが、「二条市場」
のオッサンに聞いてみるといい、必ず
教えてくれる。だから、「浦河通」の名
称は、まだこの界隈ではカロウジテ生
き長らえてはいるが、他の通りの名称
は、今や完全に死に絶えてしまったの
である。